天皇賞春回顧

まさかの11着惨敗を喫したオルフェーブルを巡って様々な報道がされているので軽く考察してみたい。
以前からこのブログの予想にも登場する理論だが、今井雅宏氏の「Mの法則」を拝読し「競走馬は前回のストレス、前回の記憶に影響されてパフォーマンスが変わる」というものだ。つまり・・・
①前回途中でレースを投げて大敗した馬はストレスがなく次回は激走することがある。
②前回激走した馬はそのストレスがあるため力を出せないことがある。(3連続2着の馬がよく負けるのがこれ)
③今回のレースで前回のレースより楽に感じる馬は激走しやすい。
④距離の延長、短縮、芝、ダート変わり、初芝、初ダート、位置取り変化によるショックなど。
 
また武豊騎手の言葉として「よい騎手というのは馬にいかに負担をかけずに乗れるか」というニュアンスのものがある、つまり馬は騎手を乗せずに好きなように走るのはいいが、騎手が乗り、ハミを噛まされ、ムチを打たれて走るのは「嫌なこと」なわけだ。基本的に「嫌なこと」をしているのだから上記のような変化、ショックがハマることがあるのだ。
 
と前置きが長くなったが今回のオルフェーブル、前回があのレース振りで1.3倍の断然人気。あれだけの力を見せられたら無理もない。ただし逆に言うとオルフェーブル自身はおそらく競走生活の中で最も全力を出し切ったレースであったことは間違いない(むしろ今までは余力十分で勝ってきてしまっていた)となれば当然ストレスがかかる、力があるのでそこそこの時計、調教は動いたかもしれないが、馬自身のバイオリズムは狂っていたのだろう。それでもあの展開でも少なくとも掲示板には来ないといけない力差なのだが、そこにストレスがある分のマイナスが響き11着大敗の結果となった。上記の理論で考えれば全く不思議のない出来事だ。ただ今回は自分も深く反省しているがあまりのパフォーマンス、マスコミの報道にある意味「洗脳」されてしまった感がある。
 
幸い馬体に故障はなかったみたいなので原因は上記と考えて間違いない。
であれば報道にあるような「凱旋門賞白紙」などという表現はまず相応しくない。陣営の反応がそうさせている部分はあるが、おそらく競馬関係者でも上記のような理論でものを考えている人間が少ないので負けると途端に弱気になる風潮があるようだ。第一オープンクラスでの連戦、連勝は上記理論によればストレスのかかることなのだから、そのあとに大敗が来てもなんの不思議もないのである。オルフェーブルに関してはむしろこれでストレスが無くなったと判断できる。次は宝塚記念だろうが当然抜けた力の持ち主であることに変わりはなく出てくれば圧倒的本命視でき、まず1着だろう。またステイゴールド産駒は闘争心が強く、強い相手にも負けずに走る傾向にあるようなので凱旋門賞にも必ずや挑戦・・・というよりおそらく世界一強い可能性があると思っているので受けて立つくらいの姿勢で臨んでもらいたいものだ。
 
競輪、競艇、オートと違い、気まぐれな馬が走るのが競馬の競技としても特殊性であり、だからこそ今回のような思いもよらないことが起きるもの。競馬の奥深さを改めて気付かされた天皇賞春であった。 以上